『ベニチオデルトロ』の構造
ピノキオPの七作目。
作詞・作曲・編曲をピノキオPが手がける。
この楽曲は、歌詞そのものよりも、全体の構造の方に重要な意味が込められているので、この記事のタイトルを「読解」でなく「構造」にしました。
「いわゆる卒業ソング。」とピノキオPに銘打たれ発表された『ベニチオデルトロ』は、全くもって「いわゆる卒業ソング」の体を為していません。
「卒業ソングと云いながらこのカオスさ」という論理の破綻を用いた単なるギャグなのでしょうか。 後に『かえるたちのうた』・『ラブソングを殺さないで』・『ニナ』といった楽曲を発表するほどに理知的なピノキオPがそこまで浮薄なギャグをかますとは考えにくいですね。(本当に単なるギャグなのかもしれませんが)
それでは、この曲を発表した意図は何処にあるのか。 まず、この曲を取り巻く諸情報を整理しましょう。
①.殆ど意味のわからない、日本語なのかも微妙な歌詞
②.ふざけきったPV
③.ピアプロに示された「対訳」
④.「いわゆる卒業ソング。」という宣言
勘の良い読者の方はこの辺で気付かれたかと思いますが、この曲は、「〔いわゆる卒業ソング〕批判」の形をとっています。
まず、①から解説しましょう。
この歌詞を真面目に読解しようと試みるのはナンセンスです。「ピノキオPは、この歌詞は『ふざけた、内容の無いもの』だということを伝えたかったんだな」ということが判ればOKなのです。
次に②(ふざけきったPVについて)です。
このPVを真面目に解析しようと試みるのはナンセンスです。「ピノキオPは、このPVは『ふざけた、内容のないもの』だということを伝えたかったんだな」ということが判ればOKなのです。
次に③(ピアプロに示された対訳について)です。
ピアプロでは、ピノキオP本人が、「歌詞の対訳」として、整った日本語の歌詞を掲載しています。
ここでは注目したい点が2点あって、
<1> 対訳が本当に「いわゆる卒業ソング」であること。
<2> ①で述べた、『ふざけた、内容の無いもの』の「対訳」としてこの訳が存在すること。
この対訳を真面目に読解しようと試みるのはナンセンスです。「ピノキオPは、『いわゆる卒業ソング』の詞を、『ふざけた、内容のないもの』とイコールで結んでいるんだな」ということが判ればOKなのです。
次に④(『いわゆる卒業ソング』という宣言について)です。
①から③までの構造を用意しておいて、改めて「いわゆる卒業ソング。」と宣言していることは、即ち、『いわゆる卒業ソング』= 『ふざけた、内容の無いもの』という方程式を強調したいが為なのです。
以上で、この曲の構造を理解して頂けたでしょうか。
ちなみに。 ベニチオ・デル・トロ - Wikipedia
次回は、この構造を踏まえた上で、ピノキオPは何を語ろうとしたのかということについて、個人的見解を述べます。