非公式ピノキオP研究所

ピノキオP及び諸作品について

『ニナ』読解 〈前編〉

ピノキオPの53作目。

作詞、作曲、編曲をピノキオPが担当。

(比較的細かく解説しています。手早く知りたい方は、太字部分、keyを中心にお読みください)

 

 

 

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①(を含む四行)

価値観の変容、科学技術の発展を表現。後にでてくる「未来」のことでもあろうか。

 

②(を含む四行)

タイムマシン・空飛ぶ車 はいずれも未来的なものの代表といえる。それらが一般に普及し得るほど科学技術が発達した時代。そんな時代を迎えても、(詩中の一人称)はじきに慣れる。

 

key: 『科学技術が発達しても、じきに慣れる』

いくら科学が発達しても、最初は珍しくとも、それが当たり前になってしまっては、慣れて(飽きて)しまう。 技術発達→飽きる→技術発達→飽きる→技術発達→… という繰り返しの不毛さが「嫌だな」ということ。

 

④(を含む二行)

二行とも願望の形であるということから、<詩中の一人称>は現在生きていることが楽しくなく、憂鬱な未来の到来をほぼ確実なものと考えていることがわかる。

「憂鬱な未来」とは、③で触れた、無限ループのことである。 これが「嫌」だから生きていることが楽しくないのだろう。

 

ここでの「君」とは、この曲を聴いている人を指す。 「ニナ」を呼ぶときは「ニナ」と呼んでいるので、「君」は「ニナ」を指していない可能性が高い。

様々なニーズがあり、動画上でも色々と品評する私達を(憂鬱な未来が待っている状況の中でも)喜ばせたりしたいと<詩中の一人称>は考えているようだ。

 

key: 『ニナ』は誰か。<詩中の一人称>は誰か。

『ニナ』とは誰のことだろうか。このことはしばらく考えていたが、どうも答えが出せないでいた。そのため、ピ研憲章第三条に則り、あやふやなまま進めようかと思ったが、どうも解釈がすっきりしない。

そんな中、動画コメントを見ていたとき、

「3×9=27」

というコメントが賛同を得ていた。 たしかに、面白いねえ そうスルーしようとしたそのとき、ひらめいたのだ。

『ニナ』=『初音ミク

ということは、⑤を考えてみると、ミクを使って、私達を(詩曲を通して)喜ばそうとしている<詩中の一人称>っていうのは…

〈詩中の一人称〉=ピノキオP

ということになる。

そう考えると、この詩は合点がいく。

 

key: この曲の詩はどういった構造か。

以上のことから、

この曲は、〈詩中の一人称〉=ピノキオPが現在の状況を様々に思弁し、その都度「ニナ」(=初音ミク)と呼びかけるという構造をとっている。

なので、ピノキオPが初音ミク及びボーカロイドを用いた創作に託している思いが詩には表れていると言える。

 

後編へ続く。