ピノキオPとカラオケ
(一人)カラオケでピノキオPの楽曲と他の有名Pの楽曲を歌ってみた所、
多くの有名Pが一般人にも歌いやすい音域で作曲しているのに対して、ピノキオPの楽曲の多くは音域が広い、または・かつ、音域がかなり高いです。 特に最近の曲に(『ニナ』『ひとりぼっちのユーエフオー』など)その傾向が見られ、中でもサビが非常に高い音程となっています。
初音ミクそしてボーカロイドは、「人間に出来ないことが出来る」という触れ込みでよく語られます。
例えば、「相当な早口で歌える」「人間のブレスの限界を超えられる」「人間にはほとんど不可能な音程の移行が可能である」などなど。
「ボーカロイドにしか出来ない曲を、歌を作る」という理念があるボカロPも多いと思います。「広音域・高音域」な楽曲を多く作るピノキオPもその理念を持つ一人であると考えています。
まあもちろん、全曲が人間にとって大変な楽曲であるわけではありません。例えば『アイマイナ』や、『人間なんか大嫌い』は比較的歌える音程で構成されています。(この2曲が人前で歌える曲かと言われると割と微妙ですが)
各Pごとに各々の作曲論、作詞論があっていいと思うんですが、ピノキオPの場合は、「人間が歌う」ということをあまり想定していないようです。 (ひょっとすると、「ボーカロイドと人間の交差点」といったような事柄はオーパーツソケットで集中的にやるつもりなのかもしれません。)
DECO*27やみきとPは結構「人間が歌う」ということを意識してるなー、と歌ってみて思いました。
繰り返すようですが、「人間が歌う」ことを意識しているから偉いということではなくて、Pそれぞれの向かう場所が違うのは当然で、違うからこそ個性があり多様性が生まれるわけです。
ともかく、
ピノキオPはボカロ楽曲において「人間が歌う」ことをあまり意識していない ——
歌詞読解の大きな鍵の一つになりそうです。
ピノキオPのみならず、ボカロPを研究する際には、そのPは「ボカロと人間」をどう捉えているか、ということを探るとよいヒントが得られそうです。